「Bullshit jobs」に関する一考察

どもども。少し前に髪型をリニューアルしましたところ、先日殿方から、「お、髪型変えたんですか!?良いですね~、菊田まきこさんみたいで」と、謎のほめられ方をしました、税理士のニオムラです。いつも応援ありがとうございます。皆様の適正な納税のため、日夜身を粉にして頑張っております、ニオムラ、税理士のニオムラでございます。

9月も中旬を過ぎますと、朝晩は空気も冷たくなって、秋の訪れを感じるようになりますね。日中は汗ばむくらい気温が上がる日もあるものの、夜、そっと窓を開ければ涼しい夜風が頬を撫で、微かに聞こえる虫の声……こうやって季節の変化を肌で感じると、なんだか俳句でも詠みたくなりますね。実は祖父が俳人でしたので、わたくしも幼少の頃から俳句に慣れ親しんで育ってきております。桜の季節、若葉の季節と、季節が移りかわるたびに、美しい庭に面した渡り廊下に一席を設け、祖父と俳句を詠みあったものでした。秋の季語で有名なものは、例えば紅葉、名月、秋刀魚(さんま)あたりでしょうか。
では、一句………

 

真似てみた  明石家さんまの  笑い方

 

どうでしょう!ちゃんと季語も入ってますよ(・∀・)
って、オーーーイッッ((((; ゚Д゚)))))そっちのさんまじゃないぞ!!
すんません、このクオリティの低さでバレたかと思いますが、上述の、幼少から俳句をたしなんでうんぬんというくだりは、ワタクシの完全なる作り話であります。

さて、少し前に、「Bullshit jobs(ブルシット・ジョブズ)」という本のことが話題になりましたな。

「bullshit」、カタカナ表記すると「ブルシット」となりますが、本場の発音だと「ぼーしぇっ!」と聞こえます。海外ドラマなんぞ観ておりますと、よく出てきます。「ぼーしぇっ!」「ぼーしぇっ!」「ざっつ ぼーーーしぇっ!」と盛んに言っとります。

「bullshit」の意味は「クソどうでもいい」とか「クソくだらない」みたいな感じらしいのですが、個人的には「クソ」で良いのではと思います。
「アイツさぁ、マジでクソだよね」みたいな感じで普段言いますよね(えっ、言わない?)
だから、「Bullshit jobs」とはつまり、「クソな仕事」。

で、この本、日本語訳のがまだ出版されてないようなので、読んでません。情報源はネットの情報だけです。
オイオイッ!読んでないのに語るんかい!!
だってえいごわかんないもん(・∀・)
いや、本編読まなくてもネットで紹介されてる情報だけで、十分色々考えさせられたのですよ。

この本を書いたのは、イギリスの社会人類学者さんなのですが、作者がこの本で何を主張しているかと言いますと、産業革命以降技術が飛躍的に進歩して、人間は日々の労働から解放されるはずだったのに、かわりに意味のない仕事が量産された。すなわち管理職とか事務職、人事や広報、ロビイスト、コンサルタントなど(大半が「ホワイトカラー」と呼ばれる仕事のことでしょうな)。これらが「クソな仕事」だと言うんですね。なかなか挑発的な内容だぜ!
そして「クソな仕事」に就いている人間のうちの多くが、自分のやっている仕事に果たして意義があるのか分からないまま、惰性的にその仕事をしている。お医者さんなど一部の例外はあるが、本当に世の中のためになる仕事(ゴミ収集とか機械工、運転手など、多分大半が「ブルーカラー」と呼ばれる仕事)ほど賃金が低い。なぜ意味のないクソな仕事が量産されたかというと、一部の支配階級の人たちが、人間が暇を持て余して暴動を起こさないよう忙殺するためなんだそうな(by ネット情報でした)

表面的なホワイトカラー・ブルーカラーっちゅうことではなくて、きっとこれを書いた学者の人は、人類が生存していくために必要な仕事(=以前から人類が生存するために続けてきた仕事)か、人類が生存していくために別に必要じゃない仕事(=最近産まれた仕事)か、ってことを論じたいんだろなとワタクシは思っております。
んで、価値があるのはもちろん前者のほう、つまり人類の生存に関わる仕事なのだと。ゴミ収集とか運転手だけでなく、農業とか漁業、畜産なんかも含むのでしょうな。

うーん、自分自身の仕事についても、色々考えさせられました。税理士はじゃあ上で言うところのどっちの仕事なのかって言うと、間違いなく後者でしょうからな。税理士の前身である「税務代理士」が誕生したのが1942年、税制がどんどん複雑化していって一般納税者の手に負えなくなってきたことから、我らの仕事が産まれた訳で。税自体は大昔からある訳ですが、大昔の税は今よりもシンプルなかわりに理不尽だった。公平にしようとすると、どうしても税制は複雑になっちゃいますからな。ということで、わりと最近産まれた税理士という仕事ですが、税理士がいなくなっても人類が滅びることはない。自分で税の申告すれば良いだけの話ですからな。

昔、我らの祖先の人類たちは、一日一日を生き延びるのに必死だったでしょう。大昔は自然や猛獣の脅威、ほんの一世紀ほど前までは戦争の脅威から何とか身を守り、命を子孫につないでいくために、何としても生き延びていくこと。それが人間の生き方だった。

でも、科学が進歩して寿命がのび、世の中が昔よりも平和になってくると、人間はもはや、最低限の衣食住を満たすだけでは満足できなくなったのです。より良い社会とか、より良い生活、より良い人生。夢、生きがい、趣味、自己実現。そういうものを追い求めるようになっていった。これが良いことなのか、悪いことなのか、数億年後にならないと分からない。数億年後、どっかの宇宙船の中で異星人が、「ジンルイハ、コノコロカラ、『イキガイ』ヲモトメルヨウニナッテシマッタ……ソレガ、ジンルイガホロンダゲンイントナッタ」と「地球史」レポート書いてることになってるかもしれない。でも、余裕のできた人類が「より良い社会」「生きがい」を求めるのは、もしかしたら良い進化なのかもしれない。単純に進化のステージが1個上がっただけなのかもしれない。その中で、今までなかったような仕事が産まれて発展していったのであれば。

作者が言うように、支配階級が人間をテキトーな労働に縛り付けようとしたからではなく、衣食住と安全を得た人類が進化の過程で次のステージに進んだことで「より良い社会や生活」「生きがい」「自己実現」を求めるようになったのであれば、それにマッチした仕事とか雇用が産まれてくるのも当然なのではないですかな。それが、現代のホワイトカラー的なお仕事だと。そして、この進化は人間にとって良い変化なのだと、未来のある我々は信じないといけないのである。

だから、昔からある仕事は、それはそれですごく大事だし、新しく産まれた仕事もやっぱり大事なのだ。という自分なりの答えに至りました。うん、価値のない仕事なんて無いぞ!!(あ、わるいおしごとはダメですがな)ま、でも、自分のやってる仕事に自分で意義を感じられないのであったら、自分にとってはその仕事は価値のない仕事なのかもしれませんな。

ワタクシも、冒頭でカー演説したように、皆様つまりお客様の適正な税務申告のために一応頑張っとる訳ですが、やっぱりお客様が信頼してくれたり喜んでくれたりすると非常に嬉しいですし、自分がやるべき仕事に大きな意義を感じております。つうか、仕事を頼むほうも、自分自身の仕事に意義を感じてる人にしか、頼みたくないよなぁ……そんなことをつらつら考えながら過ごした連休最後の夕方(もう夜か)でした。
それでは、ごきげんよう。